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服部有吉 × 首藤康之 パートナーシップ・プロジェクト 2006

大阪(ドラマシティ) 2006年7月29日(土) 13:00、18:00
7月30日(日) 13:00
東京(シアターコクーン) 8月2日(水) 19:00
8月3日(木) 19:00
8月4日(金) 19:00
8月5日(土) 14:00、19:00
8月6日(日) 14:00


ホモ・サイエンス
演出・振付 服部有吉 音楽 アントナン・コメシュタッツ
美術 島次郎 衣装 前田文子
照明 安部昌臣 フライング操作 福井啓介

首藤康之
エレーヌ・ブシェー
ヨハン・ステグリ
ゲイレン・ジョンストン
大石裕香
服部有吉
1


ゴーシュ
演出・振付 服部有吉 音楽 ショスタコーヴィチ、サン・サーンス他
美術 島次郎 衣装 前田文子
照明 安部昌臣

服部有吉
エレーヌ・ブシェー
ヨハン・ステグリ
ゲイレン・ジョンストン
大石裕香
1


“ホモ・サイエンス” その造語が光るタイトルだ。
窓の無い灰色の壁の工場(実験室)に完成したばかりのロボットが一体、体を折り曲げ前かがみになって立っている(ゲイレン・ジョンストン)。最初の照明は薄暗く、数メートル円の波面の模様のような照明が上から落ちている。
そこへ、上から、ロボットが次から次へと降ろされてくる。このあたりの照明は少し暗いのだがとても美しい。
六体のロボットは機械的な動きをしたり、同じテンポで動いたりする。各ロボットは壁にぶつかったりするのだが、それは激しくない。やがて一体のロボット(首藤康之)の動きが乱れてくる。そのせいで、ロボットが一体、一体と壊れて床に倒れる(エレーヌ・ブシェー、大石裕香)。床に倒れたロボットを二体のロボット(ヨハン・ステグリ、服部有吉)が壁隅に抱きかかえて運ぶ。ヨハン・ロボットが首藤ロボットと対話を試みたり対決したりするのだが、結局はヨハン・ロボットも破壊される。有吉ロボットも床に倒れる。一方、ゲイレン・ロボットは壁に寄りかかったままだ。
勝ち誇ったかのような首藤ロボットのソロ・ダンスがあり、壁にぶつかったりするのだが、それは壁に対する反発だと思えるのだが、あまり激しいものではなかった(あまり壁が丈夫ではないせいか?)。唯一感情を勝ち得たかのように歯を見せて暗い笑いをするのだが、彼もまた自ら壊れて床に倒れる。
工場の壁の下半分が開き、作業員が壊れたロボットを片付けるべく肩に担いで外へ運んでゆく。
一人残ったゲイレン・ロボットは眠りから覚めたかのように瞬きをし、目を開いて機械的な動きで舞台中央に、そして最初と同じように体を折り曲げ前かがみになって立つ。そこへまた実験を始めるかのように、ロボットが一体上から降りてくる。幕。
最初に女性ロボット(性別があるとしたら)が二体倒れ、次に男性ロボット二体が倒れ、男性ロボットが力ですべてを征服したように思えたが、そのロボットも倒れ、まどろんでいた女性ロボットが最後まで生き残る、というのも社会の反映か。弱い女子供が先に倒れ、次に弱い男性から次々と、そして最後に残るのは底に力強さを秘めた女性だ、ということなのだ。(この項はまだすこし続ける予定)。
音楽は、ハンブルク・バレエ団のアントナン・コメシュタッツ。このバレエに相応しい探るような不安を通奏低音としており、振付家とのコミュニケーションが感じられた。衣装は、前田文子。事前に雑誌やドラマシティのサイトで見ていたものとは違ったが、無彩色ぽく(ブルーグレイというべきか)無機質でありながら暖かみがあり、美術(島次郎)とともに素晴らしいものだった。

“ゴーシュ” 以前、被り物はないよね、と書いたことがありますが、何と被り物付でした。
ゴーシュは服部有吉
そして、リーダーのダンサーに、エレーヌ・ブシェー。同僚のダンサーに、ヨハン・ステグリ、ゲイレン・ジョンストン。後輩ダンサーに大石裕香(と私が勝手につけました)。
舞台上手奥に、レッスン・バーが並んで二台置いてある。発表会のリハーサルをしているのだが、ゴーシュはなかなか上手く踊れない(ここで、ゴーシュは上手く踊ってはいけないのだが、何か光るものを感じさせないといけない、という難しいところ)。わざとではないのだが、ヨハンにぶつかって怪我をさせる。他のダンサーは心配そうに駆け寄るが、ゴーシュは最初、大丈夫だろう?、とでもいうようにヨハンに寄る。立ち上がりバーにつかまっているヨハンに、大丈夫?、と寄るが、ヨハンは怒ったままだ。このときのゴーシュにあまり真剣さは見られない。
ひとり残されたゴーシュは夕方の明かりの中で一人で練習をする。みんなと一緒にいる時は明るく、軽く振舞っているのだが、ゴーシュの心の中は孤独で、切ない。このシーンで正座からトウを曲げて立ち上がるという技を! いやあ、凄かったです。
やがて夜の帳がおり、空に満点の星が輝き・・・、とこのあたりは定番の記述です。
ゴーシュの家の骨組(ドアと窓と屋根)が上手奥に。猫のエレーヌ、カッコウのヨハン、狸のゲイレン(愛のなせる業?、だって着ぐるみですよ)、ねずみの裕香、が現れ、ゴーシュに何くれとなく世話をして去る。
まずエレーヌ猫が現れ、ゴーシュにあれこれと踊りの練習の指図をする。このエレーヌは秀逸。このエレーヌを観ることができただけで幸せ!。いやあ、すごい役者ぶりでした。いたずらもののゴーシュはマッチをお尻ですり、エレーヌ猫は驚いて逃げ惑い、ドアから去る。
次に、ヨハン・カッコウが窓から飛び込んでくる。嫌味なほど自信たっぷりのヨハン・カッコウはゴーシュにお手本を見せる。ゴーシュはヨハン・カッコウを捕まえ肩に乗せ窓にぶつかる。目を回すヨハン・カッコウ。ついには窓から飛び出して逃げる。ゴーシュは心配そうに窓をから外を見る。
次に、ゲイレン狸がドアから入ってきてこのシーンだけジャズ・テイストの曲になり、タップを踏みながら楽しそうに踊る。ゴーシュは自信を持ち始める。ゲイレン狸は自分が以前に持ってきたバケツの水を飲み干し、ゴーシュと社交ダンスもする。ゲイレン狸が去った後も、ゴーシュは椅子に座って足でリズムをとっている。
そこに、客席から、自信のない謙虚な裕香ねずみが様子を探るように現れる。ゴーシュは裕香ねずみに気付き、舞台に引き上げる。ゴーシュは裕香ねずみにレッスンをし、やがて夜が明ける。
裕香ねずみが去った後、時間に気付き、急いで発表会の会場へ駆けつける。
ここで、中幕(どういう名称でしょう?)が閉まり、その前でダンサーたちがまだ現れないゴーシュをやきもきと待っている(ここの部分は即興らしく、30日のマチネはそうでしたが、ソワレでは遅れてきたのは裕香でした。)。遅れて来たゴーシュはヨハンを心配するが彼の怪我は大丈夫なようだ。
すっかり自信を回復し、自分の欠点を克服したゴーシュは発表会で皆と踊る。
中幕も開き、発表会だ。ここはバランシン風というか、シンフォニック・バレエを5人が見事に踊って、幕。
ニジンスキー・ガラの“ニジンスキー”でも涙がでなかった私ですが、ヨハンと踊る場面では、思わずホロリ。ああ、こんな風にして助け合ってきたのだなあ、と。ゲイレンとのダンスでも、ああ、彼女はこうして有吉を支えてきたのだなあ、そしてこれからも支えあっていくのだなあ、と感慨深いものが。そして、自分が会得したことは後輩のダンサーに伝えて・・・、とまさに服部有吉の歴史を伝えているように思えました。先輩、同僚、後輩ダンサーが猫、カッコウ、狸、ねずみ、というのもうなずけます。ここは彼らでなくてはならないのです。
よく、ノイマイヤーはダンサーをこき使って、というのですが、今回有吉も最後の発表会のシーン(バランシンどころではないもの凄く速いテンポでダンサーにはお気の毒)では、ダンサーをこき使っていました。このシーンは最低でも20人くらいは欲しいところです。
音楽はサン・サーンスの動物の謝肉祭からとショスタコーヴィチだそうです。要はド・クラシックとジャズ・テイストの曲を使っていました。衣装は、発表会の男性の衣装がちょっと気に入らなかったかなあ。ゲイレンの狸の衣装はちょっと気の毒でしたが、狸になってもゲイレンは美人でした。舞台美術は、ドアや窓の閉まる音が効果的に使われていて、シンプルでとても良かったと思います。
以前、有吉さんは、小さいお子さんからお年寄りまで楽しめる舞台を創りたい、とどこかでおっしゃっていましたが、この“ゴーシュ”がまさにそうでした
(S)